1963年
後々のバンドは2枚目を出せなかったり2枚目でこけたりすることが多いのです。何故ならばデビュー前に用意していたものを全て一枚目に注ぎ込んで、後が続かなかったりするからです(ナックが典型です)。ビートルズの勢いはデビューアルバムで止まりませんでした。それどころか、ビートルズがそれまでのシングル志向であったポップス界の概念を覆し、ロック界にアルバム主体の曲作りをもたらしたのです。その黎明と言うべきアルバムが「ウィズ・ザ・ビートルズ」です。
1枚目の「プリーズ・プリーズ・ミー」では、先発シングル4曲とアルバム用の4曲とカバー6曲の計14曲で構成されていました。この2枚目は、アルバム用に新たに書かれた8曲とカバー6曲で構成されています。1枚目に入れずヒットしたシングル曲は幾つもあったのですが、このアルバムには入っていません。それはビートルズの勢いと創作に対する貪欲さの表れです。それどころか、当時仲が良く、後追いデビューしたローリング・ストーンズにも自作曲で音楽活動することを推奨し、その証として「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を提供しました。
この先のロックバンドの方向性を決めるパイオニアたる姿勢はビートルズが最も顕著に持っていたといえるでしょう。