Let It Be

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Let It Be

The Beatles

Let It Be

1970年
多重録音を駆使したスタジオバンドは卒業して、再びビートルズの原点たるライブバンドとして活動しようと企画されたのが1969年1月「ゲット・バック・セッション」です。作る予定のアルバムのタイトルは当然「ゲット・バック(元に戻れ)」でした。しかもそれをドキュメンタリー映画にしようという話になりました。しかし、当時躍起になっていたのはポールだけで、ジョンはビートルズよりもオノ・ヨーコと芸術活動と平和運動をする方に気持ちは流れていましたし、ジョージは音楽的にかなり成熟していたにもかかわらずポール(元々学校の先輩)に子ども扱いされるのがいやでした。リンゴは与えられた演奏をこなすよりありません。

結局「ゲット・バック・セッション」は失敗、確執が深まっただけになりました。結果「元に戻れ」なかったビートルズはアルバム名、映画名を「レット・イット・ビー(放置しろ)」に変えざるを得なくなるわけです。皮肉なタイトルです。実際に映画を見ると仲が悪いのが分かります。

メンバーは1月に「ゲット・バック・セッション」で散漫に録音したテープを放置し、春には最後の本気アルバム「アビイ・ロード」を作成し、年内にリリースしてしまいます。「はい、それで解散!」のつもりだったのですが、アップルレコードは経営難で金が要りました。(このとき悲劇のバンド、バッドフィンガーは貧乏くじを引きました。)「ゲット・バック・セッション」も経費がかかっています。編集して売り出さないわけにはいきません。年明け早々に再び足りないところを追加録音してみたものの、最早誰もやる気はありません。ジョンはフィル・スペクターという音楽制作家の友人を連れてきました。フィル・スペクターは山積みのテープを聴き、メンバーを個々に呼び出して足りない部分を演奏させ、アルバム「レット・イット・ビー」を完成させたのです。

ビートルズがええ加減に演奏した物を強引に編集して形にしたフィルは天才かも知れません。が、アルバム「レット・イット・ビー」はビートルズの意志や意欲から著しく乖離した最も残念な作品なのです。せめてそこに創作意欲のあった「マジカル・ミステリー・ツアー」の失敗なぞ可愛いものです。

「トゥ・オヴ・アス」はビートルズがアコースティックバンドとしてもいかに優秀かが分かる名曲です。ベースはジョージ、口笛はジョンです。のちのアメリカ(バンド)を彷彿とさせます。

ジョンの相変わらず難解な歌詞の「ディグ・ア・ポニー」は珍しく三拍子のロックです。コーラスワークもギターワークも何もかもそつなく見事にこなし、解散するのが勿体無いと思える秀作です。

「アクロス・ザ・ユニバース」は「ゲット・バック・セッション」ではありません。過去にあったものをフィルが改変しまくって、穴埋めに使われたものです。揺らぐようなメロディーに中原中也を思わせる視覚的で幻想的な詞がマッチしています。ジョンが問いかけるように唄い、心に染み入る名作となりました。フィルが後から加えたアレンジはともかく、このアルバムでは楽曲として最高傑作に思えます。

「アイ・ミー・マイン」はフィルの手にかかってジョン抜きで録り直され、しかも多重録音しまくり、オーケストラまで入れてしまいました。ライブバンドに戻るという「ゲット・バック・セッション」の意義を完全に踏みにじった残念な作品です。ただ、楽曲的には変化に富み面白いのです。歌詞の内容は「俺が、俺が」と我が強く前のめりなポールに対する当て付けです。

「ディグ・イット」は「ゲット・バック・セッション」で行った即興ジャムの切り取りです。フィルも「ゲット・バック・セッション」の雰囲気を少しぐらいは「レット・イット・ビー」に込めたかったのでしょうか?

タイトル曲「レット・イット・ビー」はビートルズというよりもむしろポールの私的な歌です。ビートルズらしさはありません。歌詞の中に「Mother Mary」とありますが、これは聖母マリアとポールの実の母メアリーをかけています。ポールは15歳のときに母親をガンで亡くしています。ジョンも母親ジュリアに育児放棄されてミミおばさん本名メアリーに育てられ、その後実の母を交通事故で亡くしました。悩める青年ポールに優しい声をかけてくれる母は居ませんでした。悩める子どもにとって母親の言う忌憚なき「放っておきなさい」は最も救いになります。そういった思いが込められているように聴こえます。
楽曲自体は至極簡単単純で、フォークソング並みです。フォークソングがダメというわけではありません。ビートルズらしい工夫はほぼ皆無な曲なのです。しかしながらポールの切実な歌い方も相まって大衆受けは華々しく、今もなお誰もが知っている名曲とされています。

ここに来て、カバーですか!?イギリスフォークソングの「マギー・メイ」はフィルの感性を疑います。

「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」はライブバンドの醍醐味です。ポールとジョンで半分ずつ書いて、しかも対位法で唄い分けしています。ジョージのアドリブも絡んでまるで生き物のような楽曲です。映画ではポールがジョージにこの曲のギターの弾き方についてくどくどと指示を出しているのが印象的です。

「ワン・アフター・909」はジョンが15歳のときに書いたロックンロールらしいです。「らしい」というのはポールも共作したと言い張っているからであります。確かに15歳が書いたにしては工夫されていて完成度が高いですね。

一番の問題曲は「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」です。「ゲット・バック・セッション」はライブバンドに回帰するために企画されたことは何度も前述いたしました。そのためにポールが書いたバラードがこれです。美しいメロディーも最高ですが、2小節目の「ばばーんばばーん」という和音がインパクト大です。ところが、作曲者ポールの意向を完全に無視、「ゲット・バック・セッション」のコンセプトも完全に無視をしたのがフィル・スペクターです。彼はライブバンドの域を大幅に飛び越えストリングスとクワイヤーでゴテゴテに飾り立てました。当然ながら当時のポールは怒り心頭です。ビートルズ解散後もコンサートで必ずこの曲を長らくやり続けていましたが、ストリングスアレンジは採用しませんでした。2000年代になってポールも丸くなり、ファンの希望に応えるべくフィル・スペクターが加えたストリングスを導入するようになりました。今となっては良かれということですね。

「フォー・ユー・ブルー」はジョージの取るに足らないブルース。ジョージの優しいボーカルとスライドギターで個性を出しているつもりなんでしょうか?誰でも作れる駄曲をここに持って来たフィルは一体何を考えていたのでしょう。「アイ・ミー・マイン」の懲りように比べてこれは手抜きです。フィルに放り投げた結果なのでどうしようもないですね。

筆者はビートルズに奇想天外を求めています。ありきたりなダイアトニックコードやブルースコードの曲は私にとって蔑み貶めの対象でしかないのですよ。他のバンドには求めません。

ところが「ゲット・バック」はクソ簡単なコード進行なのになんだか立体的な演奏でビートルズのこれまでにない境地を見せてくれます。鼻歌のようなジョンのリードギターとジョージのカチカチのリズムギターはそれまでのビートルズにはない新たな方向性なんです。解散まっしぐらなのに未だ隠しネタを持っていたビートルズに敬意を払わずにおられません。

このアルバムはビートルズの意志のない駄作で、名曲揃いがさらに残念度を増しています。ビートルズの意志で作られたアルバムだったら「アビイ・ロード」に匹敵する名作となったでしょう。
もちろん他の同時期のロックバンドが出したどのアルバムよりも名曲揃いで、あくまでもビートルズの他の作品と比べての駄作であります。「本来ならばもっとできたはずなのにー」という無い物ねだりであることを追記いたします。

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